静岡おでんの歴史

おでんの始まり

おでんの始まりは、串に刺した豆腐の味噌焼き。その名称は、串刺しの豆腐の姿が1本の竹馬で跳ねて踊る「田楽舞」に似ていることから、田楽→お田(おでん)となりました。

おでんは江戸の町で「屋台料理」として広まりました。焼いた豆腐に味噌をつけて食べていたものから、こんにゃくや里芋が田楽に使われるようになり、これを煮込んだ「煮込み田楽」が江戸時代末期に登場。

この「煮込み田楽」が関西に伝わると、従来の田楽と区別するため、「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれるようになりました。

おでんは江戸の町では庶民の味の屋台料理として親しまれ、一方関西に伝えられた「関東煮」は料理人の手を経て次第に発達し、現在のおでんに近い「お座敷おでん」へと形態を整えていきました。

そして、関東大震災後、関西の料理人の東京進出をきっかけに関西形態のおでん屋さんが登場し、以降急速に一般化していきました。

(紀文食品様ホームページ内の新井 由己氏の文面より抜粋)

静岡おでんの思い出

■学校前の駄菓子屋の思い出
 子供の頃どこの小中高校の前や近くに駄菓子屋さんがあり、誰もがよく寄りました。
 1本くらいごまかした記憶もあるような・・・

■大浜プールの思い出
 大浜プールの桟敷(さじき)で、冷えた体をおでんで温め、カキ氷を食べた・・・「おいしかったぁ~」

■おでん横丁の思い出
 大人になって市役所前の青葉通りの屋台おでん街で一杯やるのが飲み始めのスタイルだった。裏のバケツで食器を洗ったりしていたが、あの頃は何とも思わなかったな・・・